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WEリーグ開幕のヒント!1993年5月15日Jリーグ誕生の日に何があったのか?現地で見たこと感じたことを全部話す(無料記事)

WEリーグの開幕が今週末に迫りました。どのような開幕になるのでしょうか。筆者には想像がつきません。わからないがゆえに、意外性のある演出や会場の景色を楽しみに当日を迎えたいと思います。何しろ日本初の女子団体球技のプロ化です。華やかなスタートとなるに違いありません。期待が高まります。

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コロナ禍の制限下で厳しい観客上限があるとはいえ、多くのサッカーファンがスタジアムに足を運びます(テレビやDAZNで観戦される方もたくさんいらっしゃいます)。せっかくなので、この歴史的な1日を思う存分楽しんでいただきたい。そこで、どのように開幕戦を楽しめば良いのか、筆者が、おすすめポイントをご紹介することにしました。

#女子サカマガ は誰にインタビュー取材をすれば良いだろうか……考えてみれば、灯台下暗し。何を隠そう、筆者自身が取材対象に適任でした。筆者は1993年5月15日にJリーグ誕生をスタンドから見守った者の一人なのです。いや「見守った」という表現は不適格かもしれません。何しろ、当時の筆者はコアサポーターでありサポーターグループのリーダーの一人でした。

さて、これから、Jリーグ誕生の日のことを思い起こし、皆さんにご紹介します。そして「ファン・サポーターは、何をすると、WEリーグ誕生の日をより楽しく過ごせるのか」をご案内します。最初に一つだけお伝えしておきますが、こうして記事にするためにJリーグ誕生の日を振り返ってみると、手元に残された写真が少なすぎることに気がつきました。あれから28年を経た今、思い出の多くはビジュアルとして残されていません。どうか、2021年9月12日にスタジアムに足を運ぶファン・サポーターの皆さんは、遠慮なくたくさんの写真を撮影してください。きっと、その写真は、後々まで、その日の幸せな気持ちを伝えてくれます。

では、1993年5月15日にタイムスリップしてみましょう。

Jリーグ開幕戦を終え信濃町駅にて。中央が筆者。前列左が #女子サカマガ プロデューサー 石橋克江。

Jリーグ開幕戦をファン・サポーターはどのように体験したのか?

1993年5月15日Jリーグ開幕戦。ヴェルディ川崎(読売日本サッカークラブ)と横浜マリノス(日産FC横浜マリノス)の対戦が行われる国立競技場には万9千626人が詰めかけました。スタンドにはブラジルから「サッカーの王様」ペレさん、ドイツからメキシコシティオリンピックでの銅メダル獲得を導き「日本サッカー父」と呼ばれたデットマール・クラマーさんの姿も。チケットは全席指定席。希望者は事前に郵送で申し込み抽選販売するシステムが採用されました(まだネット販売はなかった)。試合の前評判は高く、抽選倍率は約14倍に達したと報じられました。NHK総合テレビの生中継は番組平均世帯視聴率32.4%。日本サッカーのプロ化は、まさに国民的関心事だったのです。

既に前年秋に開催されていたJリーグヤマザキナビスコカップで多数の観戦仲間と繋がっていた筆者は、より楽しく思い出に残る方法で開幕戦を観戦したいと考えていました。そして、同時に、コアサポーターとして、より効果的に応援を展開したいとも思っていました。なぜなら、当時、最大の人気クラブがヴェルディ川崎。横浜マリノスの応援は劣勢が予想されていたからです。

東京体育館前広場にトリコロールの仲間が集まる

キックオフは19時30分。全席指定ですが、15時過ぎからは東京体育館前広場に仲間が集合し始めていました。千駄ヶ谷駅前でトリコロールのグッズを持った人を見かければ声をかけ、次第に人数が膨らんでいきました。中には、日立柏サッカー場で開催されたプレシーズンマッチで筆者が配布した自作のチラシを手にやってくる人もいます。

歴史的な1日を迎え、千駄ヶ谷駅前は賑わっていました。面白かったのは改札口の外、アスファルトの床に描かれた白い半円。これは、ペナルティエリアのようなもので、このラインから内側にダフ屋が入ってはならないというルールがあったようです。ラインの外にずらりと並んだ「ダフ屋のディフェンスライン」を一直線に突破して、人々は国立競技場に向かって行きます。

ちなみに、国立競技場に一番乗りしたのは名古屋在住の横浜マリノスの女性ファンです。早朝、深夜バスで新宿に到着し、そのまま国立競技場の青山門(バックスタンド側の入場口)にやってきました。

東京体育館前に集合したサポーター

全民放のテレビカメラが集結し取材合戦がヒートアップ

東京体育館前広場にはトリコロールの輪が広がっていきました。ユニフォーム姿の人がいます。タオルマフラーを首にかけた人がいます。メガホンを手にした人、普通の服装の人がいます。当時、レプリカ・ユニフォームでスタジアムに来場する人は、まだ一部でした。この後、史上空前のJリーグブームが到来し、サポーター・ファッションが一気に普及していきます。

仲間が増えるに従って、東京体育館前広場が熱を帯びていきます。誰かが応援コールを始めれば、みんなが合わせて叫ぶ。誰かが、後にチャントと呼ばれることになる応援歌を披露すれば、いつの間にか声が揃う。そして、ほとんどの人がフェイスペイントの準備を念入りに行いました。

TBSブロードキャスターです。取材させてください。」「すいません、フジテレビです。撮影して良いですか?」「日本テレビです」……気がつけば、全民放のテレビカメラが東京体育館前広場に集結。広場の各所で取材が行われています。

「えーと、もうちょっと静かにしてもらえませんか」

次第に気分は盛り上がり、歌声のボリュームは大きくなります。近隣の飲食店や住民からクレームがあったのかもしれません。千駄ヶ谷駅前交番から警官が駆けつけ、注意を受ける一幕もありました。でも、そんな注意すらも、一つのイベントのように、私たちは底抜けに明るく楽しんでいたのでした。

プラチナチケットを手に長い入場列へ

全席指定とはいえ、スタジアムの中では長い時間を過ごしたいものです。開門時刻を過ぎ、私たちは東京体育館前広場から移動を開始します。その数は約100名。大きな声で歌い、Lフラッグを振りながら、入場列の最後尾に向かいます。そして、その動きをテレビカメラが追いかけます。

当時の私は20代。体力が有り余っていたのでしょう。歩きながら歌い、飛び跳ね、歌声のテンポを合わせるために腕を振り、ゆっくりと入場列を進みました。東京体育館前の広場から橋を通って外苑西通りを渡り国立競技場側へ。メインスタンド外のフェンスに沿ってまっすぐに進み、入場は代々木門から。名前が印字されたカラー印刷のプラチナチケットを握りしめて、国立競技場に踏み込みました。そのとき、興奮のボルテージがワンランク上がったことを覚えています。

入場するときに、もぎりがありませんでした。今も手元に残るプラチナチケットには半券も繋がっています。これは、記念に残るチケットを綺麗なままで保存してもらおうというJリーグからファン・サポーターへの配慮でした。

Jリーグ開幕戦のチケット( #女子サカマガ プロデューサー 石橋克江所有)

史上初の号外配布に大興奮

代々木門で、大きな袋を渡されました。中には記念グッズに加えて応援フラッグ等が入っていました。この配布により、万9千626人全員が応援フラッグを手にすることになりました。だから、国立競技場のメインスタンド、バックスタンド、ゴール裏スタンドの全てがフラッグで覆い尽くされ、船出を祝う大海原のように大きく波打ったのです。スタンドはバックスタンドの中央から代々木門側が青、千駄ヶ谷門側が緑……見事に二等分されました。

スポーツ新聞6紙合同特別号外の表紙

そして、配布されたものといえばスポーツ新聞の号外です。それはただの号外ではありません。スポーツ新聞6紙合同特別号外です。スタンドへの入場時だけではなく街頭でも配布されました。1ページごとに日刊スポーツ、スポーツニッポン……スポーツ新聞各紙が紙面を担当し合計8ページで編集したオールカラーの豪華号外だったのです。スポーツ新聞史上初の試みだったそうです。これを見れば、否が応でも気分が盛り上がっていきました。この貴重な号外は、今でも、筆者の手元に残されています。

スポーツ新聞6紙合同特別号外の中面にはリネカーも登場

どのように応援すべきか?対立から感動へ

スタジアム内に入場すると、スタンドには、既に、かなりの数の観客が着席していました。ここで一つ、小さな問題が起こります。座席を巡る意見の対立です。コアサポーターには集団で固まって応援したいという習性があります。仲間の中に、それを希望する人がいたのです。とはいえ、この試合は全席指定です。集団で固まるには、どこかのエリアを決めて、そのエリアのチケットを持った人とチケットを交換しなければなりません。しかし、チケットには名前が書いてある。そう簡単にチケット交換に応じるわけがありません。そして、筆者は言いました。

「これからJリーグが開幕すれば、初めて観戦するたくさんの人と一緒に応援する事になる。だから、それぞれの席でバラバラに、周囲の新しい仲間を巻き込んで応援しようよ。内輪で応援することを選ぶよりも、もっと大きく広げることを考えようよ。」

結局、仲間はバラバラの席に別れました。でも、それが逆に感動を呼び起こしました。遠くの席に、点々と仲間の顔が見える。周囲を巻き込もうと必死の形相で大きな声を出す、大きなアクションを起こす……そんな姿が目に入ってくるのです。心が高揚しました。劣勢が予想された横浜マリノスの応援ですが、こうして、みんなの声が広がって、十分に善戦したと思います。

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見事なセレモニーはキッチリ30分間

場内が暗転しセレモニーが始まります。ギタリスト・春畑道哉さんが生演奏するJリーグの公式テーマ曲『J S THEME』に合わせて、スタンド最上段から大きなフラッグが降りてきます。私の頭上を真っ赤なフラッグが通過しました。これまで私は、この曲に、そこまで愛着が湧きませんでした。しかし、この夢のような光景を目の前にして、初めて、メロディーを口ずさみ……涙を流しました。「プロサッカーが始まる!」そう、心の中でアツく叫びました。

間もなく試合開始。千駄ヶ谷門側にある電光掲示板の前に、日本サッカーがどん底の時代から、ずっとサッカーを追いかけてこられた方々の振る大きなフラッグが目に入りました。時代が、やっと彼らの思いに追いついたのかもしれない。そう思うと、大切な決戦の直前であるのにもかかわらず、何かホッとした気持ちになったことを覚えています。高揚したり、アツくなったり、ホッとしたり、なんだか心が忙しい一日です。

前田亘輝さんの斉唱による『君が代』、川淵三郎チェアマンによる開会宣言。30分間のセレモニーはテンポよく進み、ファン・サポーターが声を揃えて行ったカウントダウンでキックオフ。試合は2−1で横浜マリノスが勝利しました。

1993年Jリーグ開幕戦の線審・塩屋園文一さん Yogibo  WEリーグの開幕は、いつも通りにやれば良い

海外メディアも!スタンドで取材合戦は続く

バックスタンドの一角に、仲間が集まり記念撮影。初対面の人とも、たくさんの写真を撮りました。すると、外国人から声をかけられました。アルゼンチンのラジオ局からのインタビュー取材でした。決勝点を決めたのは、元アルゼンチン代表のラモン・ディアス選手。地球の裏側からも、この試合は注目を集めていたようです。ラジオといえば、ハーフタイムにニッポン放送の生中継のインタビュー取材も受けました。確か、興奮して早口に喋ったと思います。きっと、リスナーには、お聞き苦しかっただろうと思います。

仲間の多くは、この後、街で祝勝会。結局、朝まで飲み明かし、コンビニで全てのスポーツ新聞を購入したそうです。応援するチームの初勝利です。良い記念品になりました。私は、祝勝会に参加せず、即座に帰宅しました。テレビをつけて、スポーツニュースや情報番組をできるだけ全て視聴するためです。そして録画。おかげで、私の手元には、今でも、当日の全局のスポーツニュースの録画があります。そして、全ての民放のスポーツニュースに、私たちの姿は映っていました。

その後もテレビや雑誌で、私たちの姿は報じられました。特にスポーツと縁遠い雑誌からも取材を受けて記事が掲載されたことは、今となっては信じられないような出来事です。雑誌・Hanakoでは、私たちの写真入りインタビューを中心に1ページを、この試合に来場したファン・サポーター紹介に充てました。

「歴史の一員になった」というよりも「人生最高の一日をおくった気分」がふさわしい表現です。ここまでを振り返ってみて、改めて感じるのは、私たちは、何も作っていないし、何か褒められることをしたわけでもない。この試合での行動が単独で社会に影響を与えたわけでもない。だから、私たちが日本のスポーツの歴史を作ったわけではありません。でも、遠慮がないくらい心の底から1日を楽しんで、28年間を経過しても、ここまで思い出せることがある。こんな一日を持っている人生、素敵だと思いませんか。

翌朝のスポーツ紙の見出し

WEリーグ開幕戦を最大限に楽しむために

さて、前置きが、ものすごく長くなりました。2021年9月12日WEリーグ誕生の日の過ごし方に役立つことは何なのか?1993年5月15日を振り返って考えてみました。

・もらえるものはなんでももらっておこう

スタジアムで、駅で、街頭で、配布されているものがあると思います。とりあえず、もらえるものは全てもらっておきましょう。それは、もしかするとWEリーグ開幕がおまけのように盛り込まれた企業のチラシかもしれません。それでも、捨てずに残しておくと、後日、思わぬ発見をすることがあります。例えば「この選手が、こんな商品のチラシに登場していたのか!」と数年後に驚くこともあります。

知人・友人に会ったら、必ず一緒に写真を撮ろう

筆者が後悔しているのは、残っている写真の少なさです。試合後に会った植田朝日さんと、どうして一緒に写真を撮らなかったのだろう……等々、悔やむことばかりです。もし、当日に、知人・友人に会ったら、必ず一緒に写真を撮っておきましょう。そして、保存しておきましょう。10年後に写真を見て「こんなファッションだったっけ!?」と驚くかもしれません。

・スポーツニュースは全て録画しておこう

ユーチューブに残っている動画は、数年経つと、簡単には検索できなくなります。思い出の一日の記録となるスポーツニュースは録画で残しておきたいものです。そして、リアルタイムで視聴することで、帰宅後に、再び喜びが込み上げてきた筆者の経験もあります。たかがテレビ、されどテレビです。

・スポーツ新聞を購入しよう

日頃、スポーツ新聞を購入することは減りました。ほとんどの人はネットでスポーツニュースを閲覧します。ただ、この日は特別です。記念品としてスポーツ新聞を購入することをお勧めします。

・取材は迷わず受けよう

恥ずかしいかもしれません。でも受けておいた方が何かと得をします。記念にもなりますし、当日は現地で会わなかった友人が「同じ試合を見に行っていたのね」と共通の趣味に気がついてくれるかもしれません。これから始まるWEリーグ・ライフを充実する、仲間作りのきっかけになります。

・友達を作ろう

コロナ禍のスタジアム内では難しく、もしかするとSNSでの繋がりだけになるかもしれませんが、この日の経験を共有できる友達が増えると、さらにWEリーグ観戦が楽しくなります。同じ場所で時間を共有し、日本の女子スポーツの歴史上に記した大きな一歩を同時に目撃した経験は、とてつもなく大きな価値があります。

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これから伝説となる試合を見逃さないで

コロナ禍による外出自粛で、スタジアムで週末を過ごす日常生活が消え去ってしまった人が多数います。多くのスタジアムで来場者人数に上限を定めてサッカーの試合は行われています。残念ながら2021年9月12日WEリーグ誕生の日をスタジアムで体験できる人は、当初の計画の数分の一しか存在しないことになりそうです。しかし、この日の持つ価値の大きさは変わりません。スタジアムに足を運ばれる皆さんは、将来、伝説と呼ばれることになるであろう試合の一挙手一投足を見逃さないでいただきたいと思います。そして、この日この場所にしか存在しない、最高に幸せな時間を心の底から楽しんでいただきたいと思います。

(2021年9月3日 石井和裕)

 

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