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「やめるなよ」と「サッカーどうするの?」 東日本大震災から10年 山根恵里奈さんが見つけた正解(前篇)

山根恵里奈さんの取材をしようと思ったのは、スタジアムの大型ビジョンに映し出された一枚の写真からでした。10月18日 2020プレナスなでしこリーグ1部 第15節 ジェフユナイテッド市原・千葉レディースと伊賀FCくノ一三重の試合後に「山根恵里奈選手、なでしこリーグ100試合出場記念セレモニー」が行われました。そのとき、山根恵里奈さんの足跡を辿る動画が上映されたのですが、最初に目に留まったユニフォーム姿がスカイブルーでした。

「あ、マリーゼで出場していたか」私の記憶からは山根恵里奈さんが東京電力女子サッカー部マリーゼでプレナスなでしこリーグにデビューしたことが、すっかり抜け落ちていました。2009年シーズンに1試合だけ出場していたのです。動画には、福島から始まった、山根恵里奈さんのプレナスなでしこリーグでの最初の大きな一歩が盛り込まれていました。

それから一ヶ月も経たずに11月10日に山根恵里奈さんの引退記者会見が行われ、12月20日の皇后杯 JFA 42回全日本女子サッカー選手権大会・浦和レッドダイヤモンズレディース戦で敗退すると、山根恵里奈さんは引退となりました。

なでしこリーグオールスター2006

 筆者が山根恵里奈さんと初めて会ったのは2006年8月27日のこと。なでしこリーグオールスター2006の準備で国立競技場の本部にいるときでした。1964年の東京オリンピックのために作られた旧国立競技場はバックヤードが狭く、廊下から本部の部屋に入るには扉……いや、引き戸から入る必要がありました。メインスタンドの下にある、昔の学校の教室を思わせる空間です。そこで、一際、背が高い高校1年生を見かけました。「あれがスーパー少女プロジェクトの子か。」と思ったことを覚えています。

スーパー少女プロジェクトとは2003年から2014年まで行われていた、日本女子代表のGKの大型化を目指して若い人材を発掘し育成するプロジェクトのことです。そのとき、既に山根恵里奈さんの存在は、一部のサッカーファンに知られていました。 

東京湾アクアライン、海ほたるから木更津市を望む

山根恵里奈さんは木更津市にいます

イオンモール木更津のウェブサイトを見るとアクセスマップは川崎市から始まっています。川崎市と木更津市は東京湾アクアラインで直結しているからです。そのイオンモール木更津の敷地内にローヴァーズフットサルスタジアムがあります。山根恵里奈さんの新しい職場です。

ローヴァーズフットサルスタジアムはローヴァーズ株式会社が運営するスポーツ施設です。ローヴァーズ株式会社は木更津スポーツヴィレッジという廃校をリノベーションした複合スポーツ施設(現在はローヴァーズドリームフィールドと中郷アリーナ)も運営しています。さらに、千葉県茂原市と千葉県印旛郡栄町にも自社施設を建設中です。
※2021年度に完成予定。

ローヴァーズフットサルスタジアムで子どもたちとプレーする山根恵里奈さん 提供:山根恵里奈さん

山根皆さん、ローヴァーズフットサルスタジアム、ローヴァーズドリームフィールドにボールを蹴りに来てください。手が空いていたら私も参戦するので声をかけてください。でも、一緒にプレーできるのは1年が限界です。そのあとは急速に体力が衰えると思いますので!(笑)

なぜローヴァーズ株式会社に入社したのでしょうか?

山根房総ローヴァーズ木更津FCというチームがあることは知っていました。でも、私とのつながりは何もありませんでした。夏の終わり頃に、木更津市のお世話になっていた会社の方を通じて、カレン ロバート(ローヴァーズ株式会社 代表取締役)と会う機会をいただきました。

私は引退後にサッカーに関わる仕事をするビジョンがなく、それまで勤めていた会社(三井住友海上火災保険株式会社)で会社員を続けることを考えていたので、まさか「お願いします」という心境になると思いませんでした。でも、ローヴァーズ株式会社の話を聞いて、もう一度チャレンジしたいと思ったのです。JFAアカデミー福島に行くのも、スペインへ行くのもチャレンジでした。これも、またチャレンジです。やっぱり私は、新しいところに飛び込むのが好きなのだと思います。

木更津スポーツヴィレッジ ローヴァーズドリームフィールド 提供:ローヴァーズ株式会社

三井住友海上火災保険株式会社で仕事を続けようと思われていたのが、まず意外でした。

山根えええええ、意外ですか? 多分、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの人たちやお世話になった人は、私が三井住友海上火災保険株式会社を辞めたことが意外だと思っています。私がサッカー界に残って仕事をすると思っていなかった人がほとんどです。だから、この話をしたら「サッカー界に残るんだ! よかった!」と言ってもらっています。

2014年からアスリート社員でお世話になり、FIFA女子ワールドカップ2015カナダ大会の出場やスペイン・レアル・ベティスへの移籍も見届けてもらって、サッカーに集中する環境をいただいていたので、引退後に残って社員として働くのが(恩返しの)方法だと思っていました。

富士山のシルエットが浮かび上がるローヴァーズドリームフィールドの夕景 提供:ローヴァーズ株式会社 

Life is challenge」という言葉に惹かれて

カレン ロバートさんとの接点は、現役時代にはあったのですか?

山根全くないです!(笑)憧れのJリーガーさんでした。だって、私が中学生のときにマリ ノス戦(2003年の第83回天皇杯全日本サッカー選手権大会で市立船橋高校が横浜F・マリノスと対戦し退場者を出して1人少ないながらもPK戦まで持ち込む大善戦、今も天皇杯の歴史を辿る番組で必ず放送される)だったり、高校サッカー(全国高校選手権優勝)、ジュビロ時代(2005年は13得点)の活躍を見ていたので「この人すごい」と思っていました。

初めてお会いしたときは「うわぁ!」「本物だぁ!」って気持ちでしたが、それを見せないように平然を装いました。私は好きな芸能人が目の前に現れるよりも、サッカー選手のレジェンドが目の前に現れる方が「うわぁ!」ってなります(笑)。

ローヴァーズ株式会社の掲げる「Life is challenge」という言葉に惹かれました。今、トップチームの房総ローヴァーズ木更津FCは千葉県リーグ1部で、Jリーグ参入という目標を掲げて、ここから勝ち上がっていきます。クラブ・会社として上を目指し、新たに多くを作り上げようとしているローヴァーズのビジョンと「Life is challenge」という言葉を聞いたときに、自分自身のこれまでのキャリアと重なる部分がいくつもあることに気づいて心変わりしました。

あとは、憧れのJリーガーさんだったので(笑)、ここを逃したら、一生、こんなチャンスは来ないと思いました。行くなら今だと決断しました。全ては「Life is challenge」に辿り着きます。

房総ローヴァーズ木更津FC 提供:ローヴァーズ株式会社

—木更津スポーツヴィレッジには、東京都、神奈川県からプレーヤーを誘致したいですね。

山根そうです。木更津市には東京湾アクアラインが通っているので、千葉県のみならず、東京都、神奈川県からも来ていただきたいです。三井アウトレットパーク木更津に来たことがある人は「木更津は近いね」というイメージをお持ちだと思います。

ローヴァーズフットサルスタジアムは木更津南ICから車で8分、木更津スポーツヴィレッジにあるローヴァーズドリームフィールドは袖ヶ浦ICから車で5分です。ローヴァーズドリームフィールドの隣には中郷アリーナもあるので、フットサル、バレーボール、バスケットボールの団体にもご利用いただけます。

これから、山根さんが広報として「近いからおいで!」というメッセージをお伝えしていくのですね。

山根そうですね「3歩でいけるよ!」くらいで(笑)……無理だろ! お約束のデカい人ネタですが……今は、広報の業務以外に、社長(カレン ロバート)と一緒に営業に回らせていただいています。あとは、フットサルの受付を担当することもあるので、来ていただけるとデカいのが「検温しまーす」とか言っているかもしれませんね。

提供:ローヴァーズ株式会社

JFAアカデミー福島1期生として福島に飛び込んだ高校1年生

JFAアカデミー福島は、完全寄宿舎制の中高一貫指導により世界に通用するサッカー選手を育成する人材育成プログラムです。「世界基準」をキーワードに、個の育成を目的として世界基準の人材を育成しています。山根恵里奈さんは、その1期生です。

1期生は男子 17名(中学年生)、女子23名(中学1年生~高校1年生)。現在も国内で活躍する主な選手は菅澤優衣香選手(浦和)、浜田遥選手(マイナビ)、川島はるな選手(広島)。練習は、福島県の楢葉町と広野町にまたがるスポーツトレーニング施設J ヴィレッジで行ってきましたが、東日本大震災の発生により避難を余儀なくされ、時之栖スポーツセンター(静岡県御殿場市)、帝人アカデミー富士(裾野市)に活動拠点を移しています。東日本大震災から10年が経ち、2021年4月に男子はJ ヴィレッジへ帰還を予定しています。

2020年2月に訪問したJ ヴィレッジ 提供:山根恵里奈さん

山根私は2006年のJFAアカデミー福島1期生です。やっぱり、私は何もないところに飛び込んでいきました。アカデミーも町の皆さんも手探りで、これからアカデミーを作っていくというときでした。アカデミーと町のつながりが、一番濃かった時期かもしれません。女子の1期生だけは中学校1年生から高校生1年生までいて、私は高校1年生で年齢が一番上でした。菅澤優衣香も一緒でした。彼女だけですね、同学年で現役を続けているのは。

今でも訪れると町の人が「どこかで見たことがあるけれど……。」「ああ、あのときの……。」みたいに覚えていて声をかけてくださります。役場やアカデミーに具体的に関わってくださった方だけではなく、普通に町にお住まいの方からも、そのように声をかけてくださるときがあります。当時は、アカデミー生が親元を離れて遠くからやってくるということで、町の皆さんが私たちのことを気にかけてくださりました。町の皆さんにご協力いただいてアクティビティをし、田植え、稲刈り、餅つきもしました。夏、冬は特にお世話になっている皆さんをご招待してパーティをやりました。こうした、サッカー以外の活動も楽しかったです。町の皆さんもアカデミー生も笑って楽しくやっていました。

私は実家が広島で遠いので、短い帰省期間では帰りませんでした。帰省期間は寮がクローズしてしまうので、町のホストファミリーのご家庭にお世話になっていました。こうしたことで、ホストファミリーと個人的なつながりができたアカデミー生がたくさんいます。

現在のJヴィレッジ 提供:一般社団法人東北観光推進機構

 

ここまでがインタビュー記事の前篇です。続きは近日公開予定です。東日本大震災当日の出来事、そして、それから10年間、山根恵里奈さんは何を考えて生きてきたのか? 引退記者会見で明かした、ベティス時代のエピソードの背景に何があったのか? 後編では心の奥深くを明かしていただきました。あなたのイメージする山根恵里奈さん像からは想像できないお話かもしれません。後篇も、ぜひ、お読みください。

(インタビュー:2021年1月14日 石井和裕)

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