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WEリーグ入り!後篇 ちふれASエルフェン埼玉が薊理絵選手と歩んだ250試合 #女子サカ旅

リーグ戦通算250試合を達成した薊理絵選手のインタビュー後篇です。前篇では、なぜ250試合出場を達成できたのか、その秘訣をご紹介しました。この後篇では、薊理絵選手のプレーした14年間の中で大きな転機となった松田岳夫監督(当時)の指導について振り返ります。また、最後に、海外旅行が好きな薊理絵選手の旅の思い出を紹介していただきます。タイのビーチリゾートであるプーケットを、薊理絵選手のプライベート写真と併せてご紹介します。お楽しみに。

振り返ってみれば、2013年シーズンは薊理絵選手にとって、というよりも、ちふれASエルフェン埼玉にとって、歴史が動転するようなシーズンでした。元なでしこジャパンの山郷のぞみ選手、荒川恵理子選手、伊藤香菜子選手が加入。さらには、元なでしこジャパンの原歩選手が現役復帰(コーチから)、現役なでしこジャパンの大野忍選手も加入しました。とても小さなクラブだったちふれASエルフェン埼玉が、ここから大きく変わっていき、ついには2021年にWEリーグへ参入を果たすことになります。

荒川恵理子選手は、薊理絵選手との出会いを、今でも鮮明に記憶しています

荒川–理絵とは最初にサッカーをしたのは、私がエルフェンに入る一年前の年に、オールスターで一緒にプレーしたのが初対面でした。凄く細くて、雰囲気からしてサッカー選手っぽい雰囲気では全くなくて(笑)。その時はとても緊張している様子でしたが、とてもニコニコしていて、良い子そうで感じの良い子だなと思いました。一緒のチームになってみてびっくりしたのが、凄く動くし、ずっと疲れ知らずに速いし、噂の通り、本当にプリウスのようでした。今もですが、攻守に渡ってどこにでもいてくれて、とても心強い存在だなと思っていました。松田さんのサッカーはすごく刺激的で、理絵も最初は戸惑いがあったようですが、理絵自身がどんどん吸収をして変わって行く姿と、楽しんでいる姿には私もとても刺激を受けました。

荒川恵理子選手のコメントに登場した「松田さん」・・・つまりは松田岳夫監督は現在、福島ユナイテッドFCJ3)で指揮をしています。2005年シーズンから2008年シーズンの4年間は日テレ・ベレーザ(当時)を指揮し4連覇を達成。澤穂希選手、川上直子選手、酒井與恵選手、永里優季選手ら、なでしこジャパンのメンバーをずらりと揃え、史上最強と呼ばれるチームを作りました。

松田岳夫監督が、2013年シーズンにASエルフェン埼玉(当時)の監督に就任したときは「まさか!?」と女子サッカー界に衝撃が走りました。そして、松田岳夫監督のもと、日テレ・ベレーザ(当時)でプレーしていた荒川恵理子選手、伊藤香菜子選手、大野忍選手がASエルフェン埼玉(当時)に加入します。突然の戦力アップで上昇気流に乗ったASエルフェン埼玉(当時)は2013プレナスチャレンジリーグを1敗で勝ち抜き、プレナスなでしこリーグへ昇格を決めました。2014プレナスなでしこリーグは苦戦しましたが、1部リーグの残留を果たしています。

松田岳夫監督は強いチームを作ると同時に、若い選手の成長を促す指導も並行して行う采配をすることが特徴の監督です。日テレ・ベレーザでは、当時、伸び盛りだった永里優季選手に更なる飛躍を促すためか、ボランチでプレーすることを求める采配がありました。現在、米国女子プロサッカーリーグNWSLNational Women’s Soccer Leagueで中盤のプレー機会が多い永里優季選手にとって、当時の松田岳夫監督が提供した貴重な経験が今でも役立っているものと思われます。薊理絵選手も、2013年シーズンに松田岳夫監督と出会い、貴重な経験を積み重ねていきます。現在はヘッドコーチ兼GKコーチとしてちふれASエルフェン埼玉を支え続ける山郷のぞみコーチは、当時を振り返って、このように言います。

山郷–今の粘り強く走りきる力は、以前から備わっていました。松田監督と出会ってからは、ボールを動かす楽しさ、相手の逆をとる楽しさを教えてもらった2年間だったと思います。

「上手な人にしかできないよ」と思ったサッカーに挑戦

2013年シーズンは、ちふれASエルフェン埼玉にどのような衝撃を与えたのでしょうか。そして、どのようにサッカーが変わっていったのでしょうか。薊理絵選手の証言で振り返ってみましょう。

—私は、薊選手のプレーが、松田監督が来られた頃から変わったと思って見ていました。あの頃は、ご自身でも変わっていく楽しさがあったのではないですか?

薊–あの年は衝撃でした。とにかく頭も身体も使うことで、毎日、疲れ果てていました。最初の頃は監督に言われても「こんなサッカー、上手な人にしかできないよ」って思ったんです。とても難しいことを要求されていると思ってやっていました。最初の頃は大差で負けていました。自分はボランチなんてやったことがなかったのですがやることになって「とにかくボールを受けに行け」と言われました。いままでは、ただ「走れ!」みたいな指示というか・・・とにかく走ることをやってきたので、真ん中でパスを受けにいくなんて怖くて出来ないって思っていました。でも練習で「とにかくミスをしても良いから受けにいけ」「できる、できる」と監督に言われて、自分が知らないプレーをやらせてくれました。パスの受け方とか相手との間合いとか・・・今までは、ちょっと相手が来ているだけで凄いプレッシャーを感じていたのですが、プレッシャーの感じ方が変わってきて、サッカーが凄く面白いと感じるように変わっていきました。監督の指導が、どんどんチームに浸透していって後半戦はほとんど負けることがなく楽しかったです。DFMFの間で受けるとか「上手な人がやるプレー」と思っていたので、こんなことを自分で出来るとは思っていなかったです。これまでは、そういう練習もしたことがなかったです。でも、練習すると出来るようになっていきました。相手の逆を取るとか、サッカーの面白さを学んだシーズンでした。

苦しいが楽しいに変わっていった

筆者の記憶の中に焼き付いている薊理絵選手は2013年シーズン以前と以後で大きく分かれます。2013年シーズン以前の薊理絵選手は「天才プレーヤー」でした。スペースに抜け出しボールを受けてから、躍動感あるドリブルで多くのDFを抜き去っていく魅力的な選手だったことを良く覚えています。しかし、ドリブルを開始するまでに時間を要しました。そこで、いつも思っていました。「この選手はボールの止め方、動かし方を細かく教わって来なかったのかもしれない」。特に、ボールを止める位置が適切ではない印象でした。

2013年シーズンが進むと、薊理絵選手のプレーが変わりました。ワンタッチ目でドリブルしやすい場所にボールを置く、ワンタッチ目で相手の逆をとって交わす・・・ドリブルまでの動きがスムーズになっていきました。

—でも最初は大変でしたか?

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