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WEリーグ入り!ちふれASエルフェン埼玉が薊理絵選手と歩んだ250試合 #女子サカ旅 前篇

埼玉県からWEリーグに参入するのは3クラブとなりました。浦和レッドダイヤモンズ・レディース、大宮アルディージャ、そして、ちふれASエルフェン埼玉です。ちふれASエルフェン埼玉は1985年に狭山市地域少年団 アゼリアFCの地域少女チームとして活動を開始しました。2002年にASエルフェン狭山FCとして日本女子サッカーリーグ(現:プレナスなでしこリーグ)。に加盟。2014年に埼玉県内全域に活動の場を拡げ、名称をASエルフェン埼玉と改称。2016年に、ちふれASエルフェン埼玉へ名称変更。2019年からチームの運営会社となった株式会社エルフェンスポーツクラブの下で戦っています。都市部から離れ、緑に囲まれた、ちふれ化粧品飯能工場の敷地内に専用グラウンドがあります。その恵まれた練習環境や、ちふれホールディングスをはじめとする職場環境は、プレナスなでしこリーグの1部リーグ、2部リーグを問わず、トップクラスといわれ、現在は2部リーグで戦うのにもかかわらず、有力な選手を多く集めています。

リーグ戦通算250試合を達成した薊理絵選手

その、ちふれASエルフェン埼玉の看板選手といえば、元なでしこジャパンの薊理絵です。2007年にASエルフェン狭山FC(当時)に加入した薊理絵選手は、2020927日の2020プレナスなでしこリーグ2部第11節において、リーグ戦通算250試合出場を達成しました。今回は薊理絵選手にインタビューし、なぜリーグ戦通算250試合出場を達成できたのか、その秘訣をご紹介します。そして、薊理絵選手のプレーした14年間からちふれASエルフェン埼玉の歩みを振り返ります。今でこそ、多くの女子サッカークラブ関係者や選手から「羨ましい」と言われるちふれASエルフェン埼玉ですが、2007年当時はNPO法人の小さなクラブ。私の手元にある、当時の代表と理事の名刺に印刷された住所は、クラブの事務所の住所ではありませんでした(おそらく、それぞれのご自宅でしょう)。

—250試合出場おめでとうございます。250試合を出場できた理由を教えてください。

薊–私の場合は人に恵まれています。凄い実績の選手が、常に上にいてくださったので、私はガムシャラについていきました。目標とする選手がいたことが本当に大きいと思います。私がASエルフェン狭山FC(当時)に入ったときは「仕事は100%、サッカーも100%」の環境でした。そうしないとサッカーに打ち込めない環境でした。その時代の先輩方は素晴らしい人で、仕事に関しても100%の役割を果たした後に、練習でも疲れた顔も見せずに100%取り組んでいる姿を私に見せてくれました。山郷さん(山郷のぞみ:元なでしこジャパン)、荒川さん(荒川恵理子:元なでしこジャパン)、伊藤さん(伊藤香菜子:元なでしこジャパン)が加入された2013年は、ホント驚きと言いますか、なぜ来てくれたのだろうという気持ちがありました。また、これまでとは違ったサッカー観といいますか、サッカーに対する強い想いから刺激を受けました。

—3人は、日本の女子サッカーの歴史を背負ってこられて、使命感のようなものもあったのではないかと私は感じたのですが、いかがですか?

薊–プレー中もそうですし、プレー以外でも、(3人が加入されたことにより)私は「自分がサッカーに対して甘かった」と思うことが多くて「何となく、ただ優勝したいという想いだけでは強くなれない」というのを感じました。3人からは、仕事、サッカー、何をするにも一所懸命にやる。自分が頑張ってサッカーで成長して「結果を残すことで自分の環境を変えられる」ということ、「周りの人の心を動かせる」ということを学びました。ただ一所懸命と思ってやればいいだけではない・・・山郷さんを見て特に思いました。山郷さんが発信する一言一言は「何となく言っておけば良い」ではなく、はっきりと言い、言うことに伴う責任を自分で負う。それを私は見てきました。学べたことを本当に感謝しています。

ちふれ化粧品の支援で大きく変わった環境

ちふれ化粧品が女子サッカーの支援を開始したのは2011年からです。「女性を応援する企業」として、201110月より、ASエルフェン埼玉(当時)のトップパートナーになったのです。ちふれ化粧品はクラブの活動環境を改善することで、目標に向かって頑張る女性の活動を支援してきました。2013年には、支援活動をさらに拡大し、選手、指導者を「スポーツ枠特別社員」として雇用。練習や試合も勤務時間として認め、チームの活動を考慮した休日を設定しました。201812月に、スポーツ事業会社「株式会社エルフェンスポーツクラブ」を設立。ちふれASエルフェン埼玉の運営に取り組んでいます。

薊–クラブの環境は見違えるように、毎年、良くなっています。ただ、納得できる結果を出せていません。ちふれASエルフェン埼玉に関わる皆さん、スポンサーの皆さんに「(良い結果を出せずに)ごめんなさい」と謝って終わるシーズンが多く・・・。それでも良い環境を提供してくださる皆さんは本当に感謝しています。薊理絵としては、クラブに貢献し切れていないと言うか、自分の貢献よりも良い環境を提供していただいてしまっているという気持ちが凄くあります。結果が全てだと思うので、こんな環境を与えていただいて結果がついてきていないことに、強く自覚を持たなければならないと思っています。

クラブに月謝を支払っていた2007

薊–ASエルフェン狭山FC(当時)に入った当初は、選手は月謝の支払いもあったし遠征の費用を払わなければならない環境でした。仕事もフルタイムでしていました。ちふれ化粧品にトップパートナーとなっていただいたのは2011年ですが、その前に、2006年に株式会社タムラ製作所がトップパートナーになってくださりました。それ以来、ずっと支えてくださっています。そうした土台があったからこその今だと思います。毎年、選手が入れ替わる、スタッフが入れ替わっても、ずっと応援してくださる人やスポンサーがいらっしゃらなければ、今、私はここにいません。250試合出場を歩んできた14年間を振り返ると、苦しい時期が長かったのですが、手を差し伸べてくださる方々に支えられっぱなしで、ここまできたと思います・・・あ、あゆみの話ですよね(笑)。私が大学を卒業して社会に人になるときに、ASエルフェン狭山FC(当時)から就職先を紹介していただきました。それだけでもありがたいことでした。

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