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シーズン移行問題、村井前チェアマンの見解。「凍結した議論を再開するには2つの条件があった」

 

コロナ禍もありさまざまな困難に直面した4期8年の舵取りを担ったJリーグ前チェアマンの村井満氏はJリーグ30周年をどのような気持ちで迎えたのか。また、いちさいたま市民として、レッズのACL優勝をどのような思いで見届けたのか。そして、いまも賛否渦巻くシーズン移行についての議論が加速するなか、自身の時代に取り組んだこと、そして問題点の核心がどこにあるのか、語ってもらった。

取材・構成・写真/宇都宮徹壱

【見出し】
・Jリーグ30周年で最も嬉しかったことは…
・ACL優勝を支えた浦和サポーターの力とJリーグの「総合力」
・浦和のACL優勝はシーズン移行にはずみを付ける?
・前チェアマンが考えている重要な論点。問題の核心はどこに?

 

3回目のACL制覇を成し遂げた浦和レッズ。埼玉スタジアムで行われた決勝第2戦では53374人の観客が詰めかけ圧倒的な声量で後押しした。(写真は準決勝)

 

■Jリーグ30周年で最も嬉しかったことは…

Jリーグが30周年を迎える5月15日の直前、私は久々に国立競技場で2試合を観戦しました。

12日の「フライデー・ナイト」は、FC東京vs川崎フロンターレの多摩川クラシコ。そして14日は鹿島アントラーズvs名古屋グランパス。30年前のJリーグ開幕時、カシマサッカースタジアムで同じカードが開催されていて、その試合でハットトリックを決めたジーコさんが招待されていました。それから、私を含めた歴代チェアマン6人が勢ぞろい。Jリーグ関係者の皆さんにも、ご挨拶することができました。

国立開催ということで、非常に華やかな雰囲気もありながら、個人的に最も嬉しかったのが、サポーターの声出し応援が間近で見られたことでした。Jリーグのある風景が、ようやく元の姿に戻った。それが確認できた、30周年だったと思っています。

私のチェアマン時代は4期8年でしたが、最後の1期2年が2020年と21年。まさにコロナ禍への対応に追われた時代でした。2020年のテーマは「サバイバル」。JクラブもJリーグも「とにかく生き残るんだ」という決意表明ですね。そして2021年は「リバイバル」。これは「できるところから元に戻していこう」という意味です。

2020年は4カ月にわたるリーグ中断を経て、最初の2週間はリモートマッチ、つまり無観客でした。その後は少しずつ、お客様を入れながら段階的に入場者数と応援の制限を緩めていき、声出し応援の再開を目指していました。それまでの間、ファン・サポーターの皆様にも不自由を強いてきたわけですが、われわれの目指すところは「コロナ以前に戻す」こと。多くの方々のご協力によって、それが実現できて本当に良かったと思っています。

チェアマン任期中に、声出し応援を実現したかったのではないか、という質問を受けたことがあります。最終的にそうなるのであれば、任期中であろうがなかろうが関係ない。むしろチェアマンを離れてから、スタジアムで声出し応援ができればいいとさえ思っていました(笑)。

チェアマンに任期があるのは、何のためか? 同一人物が長く続けていると、そこに既成概念が生まれて、過去の延長線上のことしかできなくなる。でも任期があるから、新しいチェアマンは新機軸というか、新たな色を出していく。コロナ対策に関して、私がチェアマンだった時代は制限することが多かったですが、ノノさん(野々村芳和)に代わってからは一気に開放的に感じられたと思います。そこは、チェアマン交代によって、いい空気感が出せたんじゃないですかね。

 

■ACL優勝を支えた浦和サポーターの力とJリーグの「総合力」

先日の浦和レッズのACL優勝は、とても嬉しく思っています。これまで浦和は3回、アジアを制しているわけですが、私はいずれも違った立場で、その瞬間を迎えることとなりました。

最初に優勝した2007年は、私も純粋な浦和サポーターでしたので、セパハンとのアウェイ戦にはイスファハンまで行きました。2回目の2017年は、チェアマンになって2期目でしたので、VIP席から念を送っていました(笑)。今回は「さいたま市民のひとりとして」応援していたという感じです。埼スタには行かず、ビールを飲みながらDAZN観戦していました。試合後、現地観戦していた仲間が、5~6人ほどなだれ込んできて、朝までわが家で飲んでいましたが(笑)。

過去2回のアジア制覇と同様、今回の優勝もサポーターの力が大きかったと思っています。だって、アウェイはもちろんホームでも、攻め込まれる危険な時間帯が続いたじゃないですか。そうした拮抗した試合展開で、コンマ数秒の競り合いを制することができたのは、やっぱり浦和サポーターの声援があればこそでした。

3回目のアジア制覇は、もちろん選手たちの頑張りによるものが大きかったですが、それだけではなかったですよね。つまりサポーターを含めて、浦和の、そしてJリーグの「総合力」という部分が不可欠だったと思っています。

まず、決勝の舞台を埼スタにするために、浦和のサポーターが頑張ってくれました。ちょうど芝の張替えのタイミングで、埼スタが使えない可能性もあったわけです。それをサポーターが行政に掛け合って、粘り強く交渉してくれたお陰で、あれほど素晴らしい雰囲気の中、決勝を迎えることができました。

もうひとつは、準決勝までのトーナメントを駒場と埼スタで開催できたことです。あれは去年の8月でしたけれど、JリーグとJFAとの協働によって、さいたま市での開催が実現しました。ACLはAFC主催ですから、コロナ対策のガイドラインひとつとっても、Jリーグのものとは異なります。そうした中、AFCがJリーグの感染対策の実績を認めてくれたからこそ、さいたま市での開催が認められた、というのが私の認識です。

実は昨年3月にチェアマンを退任して以降、あえてスタジアムでの観戦は控えていました。元チェアマンとしてではなく、いち市民としてJリーグを客観的に見直してみようと思ったからです。ですから、去年と今年のACLは観ていません。とはいえ30周年をきっかけに、今後はもう少し、スタジアムに行く頻度を増やそうとは思っています。

 

 

雪に覆われたアルビレックス新潟のホームスタジアム「デンカビッグスワンスタジアム」。降雪地帯の試合運営、練習環境、選手やサポーターの移動問題をどう解決するかはシーズン移行の重要なテーマだ。

 

■浦和のACL優勝はシーズン移行にはずみを付ける?

今回のACL優勝は、浦和レッズのステークホルダーだけでなく、Jリーグ全体にもインパクトを与えました。ということは、シーズン移行の議論にも、少なからず影響があるかもしれません。

 

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