J論プレミアム

選手とサポーターの信頼関係が壊れるということ(えのきどいちろう)

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。

 

選手とサポーターの信頼関係が壊れるということ(えのきどいちろう)えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』百四段目

 

 

■2004年の柏

この1か月のサッカー生活で個人的に感慨深かったのは日立台、柏サッカー場へ行ったことだ。4月19日のルヴァンカップ、柏×新潟戦。何しろ僕は「新潟担」なので5シーズン、J1のスタジアムから遠ざかっていた。

今シーズンは6年ぶりに訪れる会場が多い。5年というとちょっとした「J1浦島太郎」で、街の変化に戸惑ったり、スタジアムの動線の変化が変わって迷ったり、知らない選手や知らないチャントにハッとしたりの繰り返しだ。つい昨日も味の素スタジアムへ出かけて、(味スタはJ2時代もヴェルディ戦で行ってるはずなのに)飛田給駅南口の景色が変わっているのに驚いたばかりだ。

で、そんな「J1浦島太郎」が日立台に行って色々考えたという話をしたい。日立台、柏サッカー場は東京下町の自宅からいちばん近いJリーグ会場で、お気に入りの場所だった。特に『週刊サッカーマガジン』に毎週書いてた頃は同誌のプレス証で頻繁に通っていた。南千住駅を利用すれば常磐線で20分(プラス、レイソルロード徒歩20分)、原付でも40~50分。また家から近いだけじゃなくて、スタンド席からサッカーが近い。すべてのプレーが至近距離で見られる。そりゃどうしたって足を向ける回数が増えるってもんだ。

今回、ルヴァンカップでレイソルロードを歩きながら、よく立ち寄ったディスクユニオンや柏陽書房跡(古書店、残念ながら閉店してずいぶんになる)を眺め、ほんのちょっと前なんだけど、手が届かないくらい昔だなと思った。柏の街は駅前のそごうが閉店したぐらいで、そんなに大きな変化はないけれど、子細に見るとやっぱり変わっている。が、それ以上に自分が変わっている。端的に言えば年を取った。昔ほどラーメン屋に惹きつけられることもない。

僕が日立台に出かけていた頃、柏レイソルはそんなにいい時代じゃなかった。クラブ史のなかでも底だったんじゃないだろうか。同じ千葉のジェフがオシム監督を迎え、強烈な存在感を放っていた一方で、レイソルはJ2落ちを経験し、スタジアムが荒れていた。「ピッチが近い」日立台の美点が、逆に選手にとっては「ヤジや罵声が近い」ことになり、例えばクールダウンのときタッチラインからあんまり外に行かない(フェンス際まで行かない)現象を生んでいた。

別に僕は「荒れてる」のが見たくて日立台へ通ったわけじゃない。チーム側のサポーター不信も、サポのチーム・クラブ不信も不幸なことだと思っていた。だけど、どん底のなかで真剣に悩み、関係を修復すべく尽力する人がいた。僕が関心を持ち、個人的にも惹かれたのはレイソル再生への道だった。当時のレイソル広報、横井孝佳さん、種蔵里美さん(以下、ヨコイさん、種ちゃん)には友達のようにつき合ってもらって、関心のおもむくまま気になること、わからないことをじゃんじゃんぶつけさせてもらった。

※ヨコイさんも種ちゃんも今はレイソルを離れている。種ちゃんは上智大卒で語学が堪能のため、日本サッカー協会で大変重宝がられている。

で、今回このこの原稿を書こうと思ったのはヨコイさんもきっかけのひとつなのだ。4月中旬、鹿島・鈴木優磨とサポーターが揉めたとき、ツイッターの連投をしている。それがまさに僕が『週刊サッカーマガジン』取材で当時、見聞きしてきたものズバリだった。

 

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