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森保一、羽中田昌。セルジオさんのパーティーで見た絆(えのきどいちろう)

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。

 

森保一、羽中田昌。セルジオさんのパーティーで見た絆(えのきどいちろう)えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』九十六段目

 

 

■山梨学院に注目する理由

明けましておめでとうございます。読者の皆さんは新年を迎えているだろう。僕は2022年の大晦日にこれを書いている。先ほど高校サッカー選手権で山梨学院が惜敗(2回戦・等々力、山梨学院2‐3神村学園)したところだ。前々回大会(第99回)の覇者、山梨学院は2大会連続、初戦で姿を消すこととなった。僕は山梨県に縁もゆかりもないが、今大会は俄然「山学びいき」になった。というのは羽中田昌さんが監督なのだ。胸熱だ。かつて韮崎高校のエースとして勇名をはせ、卒業後、不慮の事故で選手生命を絶たれた「悲運の天才」羽中田さんが選手権に帰ってきた。

実は27日、都内ホテルの大宴会場で羽中田さんとお会いしている。セルジオ越後さんの「来日五十周年記念パーティー」だ。

 

羽中田昌さんと、夫人のまゆみさん(ペップ・グアルディオラ本の訳者でもある)

 

新旧のJリーグチェアマン(野々村芳和氏、村井満氏)をはじめ、お歴々が名を連ねる発起人のひとりに一応、僕も加えてもらっていた。で、僕は「コーナーMC」という役割を担当したのだ。総合司会はテレビ朝日の大下容子さんなのだが、ゲストコーナーは大下さんでなく、僕が即席インタビュアーを務めた。で、ゲストとしてマイクを向けたのが日本代表監督の森保一さん、サッカー解説者・松木安太郎さん。山梨学院高校サッカー部監督・羽中田昌さん、日光アイスバックスTD・土田英二さんの4名なのだった。

 

■褒めるセルジオ越後さん

まぁ、僕としてはカタールW杯で「時の人」となった森保監督に話を伺うのも緊張したけれど、実はアルビレックス新潟のコーチ時代に面識がある。キャリアのなかで見過ごされがちだが、森保さんはサンフレッチェ広島の監督さんに就任する前、アルビでコーチを務めておられた。

※(余談だが)パーティーの後、森保さん「えのきどさん、アルビまだやってるんですか?」えの「はい、もちろんです」森保さん「昇格おめでとうございます。千葉(和彦)によろしくお伝えください。(本間)勲にも」というやりとりをかわした。

森保さんとセルジオさんの2ショットは新聞記事にも出たから、ご覧になった方がおられるかもしれない。「日本代表監督」と「辛口評論家」の関係は一見、大層緊張感をはらんだものに思われるが、そうではなかった。カタール大会の前と後、二度会食をされてるそうだ。そもそも森保さんはセルジオさんがサッカー普及のために始め、60万人の子どもらと接した「さわやかサッカー教室」の教え子だった。森保さんはセルジオさんからもらった日光東照宮のお守りをカタールに持って行かれたそうだ。

※セルジオ越後さんはアイスホッケークラブ、とちぎ日光アイスバックスの代表取締役でもある。

セルジオ越後という人は近しくつき合うとぜんぜん「辛口評論家」ではない。僕は「来日五十周年」のうち、後半の20年ほどしか知らないが、あれは業務用スイッチに「辛口評論家」というのがあって、そのボタンを押しているんだと思う。プロの選手に対しては確かに「辛口」だけど、例えば高校サッカーの解説の仕事のときは別のスイッチが入る。「辛口」どころか、選手のいいところを見つけてじゃんじゃん褒めるのだ。

アマ選手はサッカーを好きになってもらって、これから大いに伸びてもらいたい。「すごいね、将来の日本代表ね」と言う。で、それは誰も否定できないのだ。高校年代まで大したことなかった選手がその後、力をつけて代表クラスになった例なんていくらでもある。セルジオさんの持論は「補欠廃止論」だ。仮に帝京高校に100人サッカー部員がいるなら(ベンチ入り20人として)「帝京A」~「帝京E」まで5チームが東京都の予選に出場すればいいという考え方だ。(スタンドで応援するだけで)サッカーをしないサッカー部員はナンセンスだと言う。

 

■羽中田さんとセルジオ越後さんの知られざる関係

その高校サッカーへの愛情あるまなざしがほかならぬ羽中田昌さんの物語をつくった。そもそも羽中田昌は少年マンガの登場人物みたいな選手だった。天才肌のドリブラーだったが、腎臓を患って3か月もの入院生活を送る羽目になる。3年時、夏のインターハイはあきらめて冬の選手権に懸けるが、大会直前、医師から「1試合15分以上プレーしない」ことを約束させられる。

 

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