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【無料記事】親ガチャでアスリートの人生は決まる?「才能は育てられる」と思い込んでいる親が知っておくべき不愉快な事実【橘玲 真実のキラーパス】

 

スポーツの世界で才能のない親の子が大成するのは無理ゲーである――。
『言ってはいけない』など数々のベストセラー本を世に送り出し、最新刊『無理ゲー社会』も大きな反響を呼んでいる作家・橘玲が今回挑むタブーは、スポーツと遺伝の関係。育った環境よりはるかに遺伝の影響が大きいとすれば…。
東京オリンピック・パラリンピックの狂騒が過ぎ去ったいま、日本に蔓延する育成神話に一石を投じるべく特別に寄稿してもらった。

 

■身長や体重よりも高いスポーツ能力の遺伝率

身長の遺伝率は66%、体重の遺伝率は74%だが、スポーツの遺伝率は85%――。ここでは、行動遺伝学のこの知見の意味を考えてみたい。

「氏が半分、育ちが半分」といわれるように、遺伝と環境が子どもの成長に大きく影響することはむかしから知られていた。だがその役割が実証的に分析できるようになったのは、行動遺伝学による双子の研究が本格化した1960年代以降だ。

双子には一卵性と二卵性があり、二卵性双生児は同じ子宮で育つが、兄弟姉妹と同じく(およそ)50%の遺伝子を共有するだけだ。それに対して一卵性双生児は、同一の胚が2つに分かれたのだから、100%同じ遺伝子を共有している。ここから、一卵性双生児と二卵性双生児の身体的・精神的形質の差を調べることで、環境の影響を排除しつつ(どちらも家庭でいっしょに育てられる)遺伝の影響だけを取り出すことができる。

また、一卵性双生児のどちらかが養子に出されることもある(よく知られたアメリカの例では、3つ子がそれぞれ別の家庭に養子に出された)。このケースでは、遺伝の影響を排除しつつ(同じ遺伝子をもって生まれてきたから)環境の影響をだけを調べることができる。

こうした研究を世界じゅうで膨大な数行なった結果、2000年にその知見が3つの原則にまとめられた。

第1原則 ヒトの行動特性はすべて遺伝的である
第2原則 同じ家族で育てられた影響は遺伝子の影響より小さい
第3原則 複雑なヒトの行動特性のばらつきのかなりの部分が遺伝子や家族では説明できない

「原則」というのは、ある特定の研究結果だけで否定することはできない、という意味だ。この原則が誤っているとしたら、半世紀かけて積み上げられてきた行動遺伝学という学問そのものが根底から覆ったときだけだ。そうでなければ、誰もがこの3原則を受け入れるほかはない。

 

■無視される「遺伝の影響力>子育ての影響力」という残酷な真実

第1原則は、「遺伝の影響は一般に思われているよりもずっと大きい」ということだ。わたしたちは、あること(身長や体重)は遺伝の影響が大きく、別のこと(学力や才能、性格など)は環境(子育て)で決まるとなんとなく思っている。だが、これはほんとうだろうか。

 

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2500人あまりを対象にした双生児研究で、「本人とは独立に生ずるイベント」の遺伝率が調べられた。親しいひとが亡くなったり、事故や強盗に遭うなどの出来事で、ふつうは遺伝との関係など思い浮かばない。だがその遺伝率は26%で、統計的には(離婚や解雇、借金のような)「本人に依存するイベント」と有意な差はなかった。

このことは、偶然としか思えない出来事にも遺伝が影響していることを示している。たまたまよいことや悪いことが起こったように見えても、その背景には「経験を引き寄せる遺伝的傾向」がある。「ヒトの行動特性はすべて遺伝的」なのだから、人生のあらゆるところに遺伝の長い影が延びているのだ(安藤寿康『「心は遺伝する」とどうして言えるのかふたご研究のロジックとその先へ』創元社)。

第2原則は、「親と子どもが似ているのは、子育ての影響というよりも同じ遺伝子を共有しているからだ」とする。「子育ての影響」とされることの多くは遺伝で説明できるというのは、(エビデンスもなく)子育て万能論を説いてきた発達心理学の主張と真っ向から衝突するので、これまでずっと無視されてきた。しかし、赤ん坊のときに養子に出された子どもが、(よい意味でも悪い意味でも)育ての親より実の親に似ている事例が多数見つかったことで、いまでは(ようやく)事実から目を背けることができなくなってきた。

第3原則は行動遺伝学の知見のなかでもっとも受け入れるのが難しいもので、人格形成(行動特性)には、遺伝や子育てでは説明できないなんらかの要素がかかわっているとする。この「ファクターX」は非共有環境(きょうだいが共有しない環境)と呼ばれ、共有環境(きょうだいが共有している環境で、一般には家庭環境=子育てとされる)と区別されるが、それがなにを意味するのか研究者のあいだで合意が成立しているわけではない。

私がもっとも説得力があると考えるのは、在野の発達心理学者ジュディス・リッチ・ハリスが『子育ての大誤解 重要なのは親じゃない』 (ハヤカワ文庫NF)で主張した「集団社会化論」だ。

ハリスは、親に連れられてアメリカにやってきた移民1世の子どもたちが、たちまち母語を忘れて英語を話しはじめることを不思議に思った。従来の発達心理学がいうように子育ての影響が圧倒的に大きいのなら、子どもが親の言葉を話さなくなるなどということは考えられない。だが現実には、多くの移民家庭では親が母語を話し、子どもが英語で答えるようになる。なぜこんなことが起きるのか。

ハリスはこの疑問に、「子どもにとって、親よりも同世代の友だちとの関係の方がずっと重要だからだ」とこたえる。人類が進化の大半を過ごした旧石器時代では、核家族の手厚い子育てなどは望むべくもなく、乳離れした子どもたちは兄姉や年上のいとこたちが面倒を見るようになり、やがて同世代の集団をつくって自立していった。

こうした「子ども共同体」から排除されることは、生きていけなくなる、すなわち「死」を意味した。それに対して、親は自分の子であるというだけで最低限の世話はするだろう。だとしたら、子どもがどちらを優先するかは考えるまでもない。

ふだんは親の言葉と「子ども共同体」の言葉が一致しているから気づかないが、他国への移住などで家庭と社会の言語が異なるようなことが起きると、子どもはためらうことなく親の言葉を捨てるのだ。

 

■「英才教育」によって才能は開花すると思いたい人々

行動遺伝学で「遺伝率70%」という場合、7割が遺伝で決まるということではなく、「ある集団のばらつきのうちの7割を遺伝で説明できる」という意味だ。父親と母親の遺伝子の組み合わせはランダム(遺伝ガチャ)だから、遺伝率から自分の子どもの特性を予想することはできないが、統計的には遺伝率が高ければ高いほど遺伝の影響が大きくなることは間違いない。

野球やサッカーなどの個別の運動能力の遺伝率を調べた研究を私は知らないが、日本における行動遺伝学の第一人者・安藤寿康氏が複数の研究を統合した数値(メタ分析)を見ると、スポーツの遺伝率は85%と際立って高い。残りは環境要因だが、共有環境(子育て)はゼロで、非共有環境(友だち関係)が15%だ(安藤寿康『遺伝マインド 遺伝子が織り成す行動と文化』有斐閣)。

これに匹敵する遺伝率は、一般知能77%、音程80%、音楽92%、執筆83%、数学87%くらいしかない(いずれも共有環境の影響はゼロ)。身長の遺伝率は66%だから、背の高い親から背の高い子どもが生まれるよりも高い割合で、スポーツや音楽の才能は遺伝するのだ。

ジュディ・リッチ・ハリスの集団社会化論では、子どもたち(とりわけ男の子)はすばやく徒党を組んで、自分が属する「子ども共同体」を集団競争で1番にしようとする(天下統一)と同時に、一人ひとりの子どもは集団のなかでできるだけ目立とうとする(下剋上)と考える。このような複雑なゲームをするのは、部族闘争(戦争)に負けると皆殺しにされてしまうが、だからといって組織の駒として滅私奉公したり、共同体のために生命を捧げているだけでは子孫を残すことができないからだろう。

このゲームをもっともうまくプレイするには、自分の生得的・遺伝的な優位性をフック(足がかり)にして、友だち集団のなかで目立つキャラをつくっていくしかない。ここには「ひとつの集団のなかで同じキャラは両立しない」という厳格なルールがあり、リーダーはつねに1人で、リーダーを目指すライバルが現われると集団は分裂する。

子どもは無意識のうちに、自分が属した集団のなかで目立つキャラをつくろうとしている。運動能力が生まれつき高い子どもは野球やサッカー(あるいはテニス、水泳、空手)などで、音楽能力に秀でた子どもは歌や演奏で自分のキャラをアピールしようとするだろう。

キャラというのは自分で勝手に決められるものではなく、他者の評価でつくられるものだ。ヒーローや王女さまのキャラを演じても、周囲が認めてくれないのなら「イタい」だけだろう。

逆に、友だち集団から「スポーツが得意でカッコいい」「歌がうまくてステキ」といわれると、運動や音楽がますます好きになって、それに熱中するようになる。このようにして、子どもの才能は伸びていくのだろう。

だがこれを親の視点から見ると、子どもをスポーツクラブに通わせたり、幼い頃からピアノを習わせた「英才教育」の効果によって才能が開花したように思える(というよりも、そう思いたい)。その結果、実際には共有環境の影響はゼロにもかかわらず、「子育てこそがすべて」という大きな誤解が生じる。

これが親の勘違いにとどまっているだけならまだいいが、問題なのは、遺伝的な制約を無視して、親の熱意と努力で子どもにどのような才能ももたせられると思うようになったときだ。

 

■親に不愉快な事実を伝えられない…ある小児科医の嘆き

ここまで述べてきたように、そもそも遺伝的に向いてないものは友だち集団のなかで目立てないのだから、親がどれだけいっても子どもは好きにはならない(これはすべての親が体験しているだろう)。これが「反抗期」で、子どもは親の願望に逆らって、友だち集団のなかでもっとも目立てると(無意識が)感じるものに夢中になる。それはときに「不良」や「ギャル」かもしれないが、これは進化の適応なので、子どもの選択に親が介入して変えさせることはきわめて難しい(これもほとんどの親が同意するだろう)。

さらにやっかいなのは、子どもに中途半端な才能があって、親の英才教育に効果があったように思えるときだ。子ども(とりわけ女の子に多い)は、やはり自分には向いてない(こんなことはやりたくない)と思っても、親(とりわけ母親に多い)に逆らってそのことを言い出すことができず、それが拒食症や抑うつなどの精神症状となって表われる。

こうして、小児科には親の過大な夢に耐えきれなくなった子どもが大量にやってくることになる。小児科医は、「遺伝的適性のないこと=親にできないことを子どもにさせても無理だ」と説明したいのだが、この不愉快な事実を親にうまく伝えることができずに苦慮している。これはアメリカの例だが、日本でもおそらく同じことが起きているだろう。

 

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橘玲(たちばな・あきら)
作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。2002年、経済小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。同年に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラー、『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)が50万部を超えるベストセラーとなり、2017新書大賞を受賞。小説、評論、投資術など幅広い分野で執筆。その後も『上級国民/下級国民』(小学館新書)、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書)など話題作を続々発表し、今年刊行『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』(幻冬舎)、『無理ゲー社会』(小学館新書)も大きな反響を呼んでいる。
橘玲公式サイト http://www.tachibana-akira.com/
Twitter:@ak_tch

 

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